大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成5年(ワ)20391号 判決

原告

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

保坂志郎

被告

株式会社東京放送

右代表者代表取締役

磯崎洋三

右訴訟代理人弁護士

田多井啓州

木下潮音

浅井隆

大澤英雄

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は原告に対し、金一〇〇万円及びこれに対する平成五年一二月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、原告が、原告とその妻であった市毛良枝(以下「市毛」という。)との離婚問題に言及した被告放送のテレビ番組(以下「本件放送」という。)の内容を原告が確認できるような措置を放送法第五条に基づいて被告に請求したところ、これを不当に拒絶され、精神的苦痛を被ったと主張して、被告に対し、不法行為による損害賠償請求権に基づき、慰藉料一〇〇万円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日である平成五年一二月八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。

本件の争点は、原告が被告に対して本件放送の内容を原告が確認できるような措置を求める権利を有するかという点である。

二  前提となる事実関係

1  原告は東京弁護士会に所属する弁護士である。被告は、電波法及び放送法に基づき放送事業を行うものであって、TBSテレビ局を経営するものである(争いのない事実)。

2  被告は、平成五年一〇月四日午前八時三〇分からのTBSテレビの番組(本件放送)において、約一五分間にわたり、原告と市毛の離婚問題について放送した(争いのない事実)。

3  本件放送を見ていなかった原告は、知人から、原告が市毛及びその母親に暴力を振るったかのような印象を視聴者に与える部分が本件放送中にあり、原告の名誉が毀損されている旨の連絡を受けた。そこで、原告は、被告に対し、同月五日及び同月一三日に、原告が本件放送の内容を確認できる措置を講じるよう申し入れ(以下「本件申入れ」という)、さらに、訂正、取消し及び謝罪の放送を求めた(甲第一号証、原告本人尋問の結果)。

4  被告は、本件放送には原告に対する名誉毀損を構成するような部分は存しないとして、本件申入れを拒絶した(甲第二号証、証人島崎忠雄の証言)。

5  原告は、平成六年九月九日の本件口頭弁論期日に行われた本件放送のビデオテープの検証により、本件放送の内容を確認した。原告は、本件訴訟の審理終了後に被告に対し本件放送につき放送法第四条及び民法第七二三条に基づく訂正若しくは取消し等の放送並びに民法第七〇九条、第七一〇条に基づく慰藉料の支払を求める訴訟を提起する意思を有している(検証の結果、原告本人尋問の結果)。

三  争点

(原告の主張)

放送法(以下「法」という。)第五条は、放送が出版物とは違って後に形が残らないという特殊性に鑑み、放送により権利の侵害を受けた者が放送内容を確認できるような措置を講じて被侵害者の救済を図った規定であり、被侵害者に放送事業者に対する確認措置の請求権を付与したものである。

そして、法第五条により放送事業者に対する確認措置の請求権を付与された被侵害者は、権利の侵害を受けたことが客観的に明らかな者に限定されるのではなく、その可能性を有する者及び権利侵害を受けたと主張する者でその主張に一応の合理性がある者も含む。なぜなら、権利侵害の具体的状況は放送内容を確認しなければ判明しないことが通例であるから、権利の侵害を受けたことが客観的に明らかな者に限定されるとすると、法第五条は権利侵害を受けたか否かを確認するために設けられた規定であるにもかかわらず、権利侵害が明らかでなければ確認の請求ができないこととなり、法の趣旨が失われるからである。

したがって、原告は、法第五条に基づき、本件放送を確認することができるような措置を被告に請求する権利を有するものであり、右請求を不当に拒絶した被告の行為は、原告に対する不法行為を構成する。

(被告の主張)

法第五条及びこれを受けた放送法施行令(以下「施行令」という。)第一条は、放送事業者に対し、放送内容を確認することができる物で放送事業者が適当と認めるものの一定期間の保存を義務付けているが、それを超えて、要求があれば常に放送内容を確認させる義務を定めたものではない。

また、法第五条が放送内容を確認する主体として予定しているのは、放送番組審議機関(以下「審議機関」という。)及び実際に訂正又は取消しの放送のなされた番組の関係者のみであり、その放送により権利の侵害を受けたと主張する者が含まれないことは明らかである。

以上のとおり、法第五条は、放送事業者に対して第三者に放送内容を確認させる義務を負わせたものではない上、放送内容の確認の主体として原告のような立場にある者を予定していないのであるから、原告は被告に対して本件放送の内容を確認できるような措置を講じるよう求める権利を有しない。

第三  争点に対する判断

一  法第五条は、放送事業者は、政令の定めるところにより、「審議機関又は前条の規定による訂正若しくは取消しの放送の関係者」が放送番組の内容を放送後において確認できるように必要な措置をしなければならない旨規定しているが、そもそも、同条が予定している放送内容確認の主体に原告が含まれるかという点につき検討する。

法第五条は、審議機関が、放送番組の適正を図るため必要があると認めるときに意見を述べることができるという、放送番組に対する批判機関としての機能を果たすために放送番組の内容を検討できるようにするとともに、法第四条第一項の規定による訂正又は取消しの放送の関係者の確認の資料に供するために設けられた規定であると解される。そして、審議機関に加えて放送内容確認の主体として予定されている「法第四条第一項の規定による訂正又は取消しの放送の関係者」には、時事に関する放送(施行令第一条第一項第一号)については、これについての訂正又は取消しの放送が行われた後におけるその関係者のみならず、訂正若しくは取消しの放送又はその請求が行われる前の段階において、放送事業者が行った放送につき、一応の合理的な理由に基づいて、真実でない事項が放送されてそれにより自己の権利が侵害されたのではないかと危惧し、権利侵害の有無を確認する必要を有している者も含まれると解するのが相当である。

とすれば、原告と市毛との離婚問題を扱った本件放送が、原告が市毛及びその母親に対して暴力を振るったという真実でない事項を放送して原告の名誉を侵害しているということを知人から聞き、原告が自己の名誉を侵害されたのではないかと危惧したことには、一応の合理的な根拠があったと認められるから、原告は法第五条が予定している放送内容確認の主体に含まれるというべきである。

二  次に、原告が、被告に対して本件放送の内容を確認できるような措置を講ずることを請求する権利を法第五条に基づいて有しているかという点につき検討する。

法第五条及びこれを受けた施行令第一条は、放送事業者の義務として、原稿又は録音若しくは録画をした物その他放送内容を確認することができる物で放送事業者が適当と認めるものを保存することを明確に義務付けている。それを超えて、放送事業者が、法第五条及び施行令第一条により、審議機関及び法第四条に定める訂正又は取消しの放送の関係者に対してこれを確認させる義務までを負うかについては、明文上明らかではないものの、右の資料保存義務は、これを審議機関及び右の関係者に確認させる義務を当然の前提としているものと解するのが相当である。

しかし、右義務の性質については、放送法が、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とした法律であること(第一条)、第五条の規定が置かれている法第一章の二は、全体として、放送事業者の放送番組の編集等に関する公法上の義務を定めていること、右公法上の義務を超えて放送事業者に一般私人に対する義務を課し、これに対応する請求権を認める場合には、特に明文の規定を置いている(法第四条)こと等に鑑みれば、法第五条の規定をもって、放送事業者としての公法上の義務を超えて、個々の個人に対する義務までを定めた規定と解釈することはできないし、放送事業者に対する確認措置の請求権を個人に付与したものとも解することはできないというべきである。

三 以上によれば、被告が原告の本件申入れを拒絶したことは、法第五条に定められた放送事業者としての公法上の義務に違反するものということができるとしても、そもそも右義務は被告の原告に対する義務ではなく、原告が被告に対して本件放送の内容を確認できるような措置を講ずることを請求する権利を有しないことが前述のとおりである以上、原告に対する不法行為を構成することはないというべきである。

第四  結論

以上のとおりであるから、原告の本件請求は理由がないからこれを棄却するほかはなく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官魚住庸夫 裁判官松藤和博 裁判官市川多美子)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例